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収蔵資料を紹介します。【その10】

テーマ:     公開日:2026年01月16日

「舶来上向腕ガスランプ」 明治初期

明治16年(1883)7月に落成した鹿鳴館は、日本の外務卿・井上馨による欧化政策の一環として、国賓や外国の外交官を接待するための、国際的な社交場として建設された西洋館です。英国人建築家ジョサイア・コンドルが設計し、建設地はかつての旧薩摩藩装束屋敷跡(現在の千代田区内幸町)に決まり、明治13年(1880)に土木用達組(大成建設株式会社の源流)により建設が着工されました。


「鹿鳴館」 明治時代


「華族会館時代の室内風景」 明治時代


イタリア・ルネサンス様式に英国風を加味した煉瓦造2階建ての建物は、1階に大食堂、談話室、書籍室などがあり、2階には舞踏室が設けられていました。舞踏室は3室を開放すると約100坪の広間になったほか、バーやビリヤードも設置されていました。また1階と2階には約20室の客室を備え、ホテルとしての役割も担っていました。
明治16年(1883)11月28日に開催された落成の祝宴では、建物入口正面に「鹿鳴館」の文字が花ガスで掲げられたと当時の新聞記事で紹介されています。
建物の名前である「鹿鳴」の由来は、『詩経』小雅にある「鹿鳴の詩」にあります。明治16年(1883)から井上馨が外務大臣を辞任する明治20年(1887)までの時期が、いわゆる鹿鳴館時代と呼ばれ、欧化政策が繰り広げられました。落成以後、鹿鳴館では国賓の接待や舞踏会だけでなく、天長節などの祝賀会や国内行事も行われました。皇族や上流婦人による慈善バザーの開催の様子は、錦絵でも取り上げられています。

「鹿鳴館貴婦人慈善会図」 揚州周延 明治17年(1884)


その後、建物は明治22年(1889)に外務省から払い下げられ、翌年には華族会館となりました。さらに昭和2年(1927)には生命保険会社所有の建物となります。そして昭和15年(1940)に建物解体の話が持ち上がると、有識者の一部から保存の声も上がりましたが、コンドル設計の建屋は取り壊されてしまいました。
取り壊しにあたりいくつかの部材が取り外されましたが、その一つが今回紹介するガスランプです。これはガスマントルを使用する室内用ガスランプで、ガス会社職員が譲り受けて保存していたものです。現在では当館で常設展示品としてご覧いただけます。
また現在当館では、1月10日(土)より【企画展「明治おしゃれ物語」展】を開催しており、鹿鳴館時代の女性が着飾ったドレス姿をはじめとする様子を紹介しています。

 

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