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東京の街 ~くらべる探検隊~ 第4回「待乳山聖天」

     公開日:2021年06月29日

東京で一番低い山をご存知ですか?

東京の街の「今」と「昔」を“くらべる探検隊” 第4回目は「待乳山聖天」です。

江戸時代から現在にいたるまで、変わらない東京の観光地の一つに浅草があります。
仲見世から浅草寺、三社祭が例大祭である浅草神社、日本最初の遊園地である浅草花やしきをはじめ、多くの観光名所がありますが、「待乳山(まつちやま)」の名前を聞いたことはあるでしょうか?

待乳山は浅草寺より直線で約600m北東にある小高い丘になります。全体が本龍院という浅草寺の子院の境内で、待乳山聖天の名で知られています。

本堂正面


浅草周辺地図  出典:国土地理院

10mほどの高さの丘の成り立ちは、台地の先端部分が取り残されたとも、川の土砂が堆積したものとも云われていますが、詳細はわかりません。かつては「真土山」とも呼ばれ、人工の盛り土ではない自然の山であったことが知られており、「山」の名前がつく自然の高台としては、東京で一番低い山になります。

社伝によると、この丘は595年に地中から忽然(こつぜん)と湧き出た霊山で、その時、金龍が天より降って山を廻り守護したといわれ、浅草寺の山号である金龍山の由来になっていると伝えられています。
創建は601年にこの地方が旱魃(かんばつ)に見舞われたとき、十一面観世音菩薩が悲愍(ひびん:悲しみあわれむこと)の眼を開き、大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)の姿となってこの山に降臨されて、苦しむ民を救いました。これが聖天様の鎮座(ちんざ)された起源といわれています。

秘仏である大聖歓喜天は、象の頭をした二人が向かい合った姿をしているといわれており、身体健全のほか、夫婦和合、商売繁昌のご利益があるとされています。
そのため境内のいたるところに、夫婦和合、商売繁昌を象徴した、二股大根と巾着のしるしを見ることができます。

参道石段のレリーフ

 

本殿の二股大根


本殿前の巾着の形をした天水桶
※天水桶は高岡市の佐野清銅器(株)による昭和44年(1969)製造

             
毎年1月7日には「大根まつり」が催されるほか、毎日大根がお供えされており、お供えされた大根はお下がりとして翌日に持ち帰ることもできます。

お下がりの大根

※令和3年(2021)は感染症拡大を考慮して「大根まつり」はお休みとなりました。

かつて丘の上に建つ本堂わきからは、東には隅田川と対岸に広がる墨堤の風景が見え、西には富士山を望むことができ、江戸時代より景勝地として知られていました。

織田一磨 東京風景 待乳山から隅田川 大正5年(1916)


石版画で大正の初めの東京各所の風景を描いた織田一磨(おだ かずま)は、待乳山から隅田川を眺める様子を描いた作品を残しています。作品は当時の賑わいの風景を今の私たちに伝えてくれています。

近年、丘の周りの都市化や隅田川の護岸整備が進むと、高台のすぐ下を流れていた隅田川は150m以上も離れてしまいました。かつての眺めは大きく変貌しましたが、今でも境内から隅田川を望むことができます。

境内の風景

境内から望む隅田川の姿


現在も待乳山聖天は人々の信仰を集めており、参拝者のために丘へ登るスロープカーも設置されるほか、今年の2月7日には、前に紹介をしている織田一磨の作品が採用されたモニュメントが設置されています。

スロープカー 「さくらレール」

境内設置モニュメント


織田一磨が作品を描かいたあたりに設置されたモニュメントの絵と、隅田川の向こうに東京スカイツリーを望む現在の風景を比べながら、時代の変化を感じてみてはいかがでしょうか?

モニュメントとスカイツリー

また、隅田川の対岸までちょっと足を延ばし、三囲(みめぐり)神社あたりから、川越しにもぜひ眺めて見てください。待乳山が今でも小高い丘になっていることがわかります。

井上安治
東京真画名所図解 待乳山夕景
明治14-22年(1881-1889)


現在の風景
※左手の木々の茂るところが待乳山

 
明治時代の絵師井上安治など、多くの錦絵に描かれた、当時と変わらない「東京で一番低い山」。
ぜひ確かめてください。

くらべる探検隊4号:Y.T

 

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