ガス器具と人々の暮らし

「明かり」からはじまったガス

料理や暖房、お風呂として私たちの暮らしを支えているガスですが、
「明かり」としての利用がはじまりでした。
それまでわずかな明かりをともして夜を過ごしていた人々にとって、
ガス灯の光は驚異的な出来事でした。

日本のガス事業のはじまり

1872年(明治5)、横浜で日本のガス事業が、フランス人アンリ・プレグランの指導の下、高島嘉右衛門(たかしまかえもん)によって始まり、今の馬車道通りに、街灯としてガス灯がともりました。
横浜に遅れること2年後、1874年(明治7)には東京のかつての銀座煉瓦街の前に街灯として85基のガス灯が輝くようになり、ガス灯は次第にその数を増やしていきました。

アンリ・プレグラン (1841〜1882)
アンリ・プレグラン
(1841〜1882)
高島嘉右衛門 (1832〜1914)
高島嘉右衛門
(1832〜1914)
歌川広重(三代) 「東京名所図会 銀座通り煉瓦造」
歌川広重(三代)
「東京名所図会 銀座通り煉瓦造」
ガス街灯
ガス街灯

夜の暮らしを彩ったガスの炎

暗闇に光をもたらしたガスの明かりは、街灯を照らしただけではありませんでした。商店の照明をはじめ、舞台照明、博覧会でのイルミネーションとして、明治の初めの都市の暮らしの中にさまざまな形でとけこんでいき、人々の生活を支え、文化を彩っていきました。ガス灯により人々の夜の活動は少しずつ広がっていきました。
この頃、流行っていた錦絵には、色鮮やかなガス灯が描かれています。

井上安治 「銀座商店夜景」
井上安治
「銀座商店夜景」
歌川広重(三代) 「東京名所之内 銀座通煉瓦造鉄道馬車往復図」
歌川広重(三代)
「東京名所之内 銀座通煉瓦造鉄道馬車往復図」
ガス灯に火をつけるのは誰?

当時のガス灯はガスが弱く噴き出しているところに火を近づけて、直接点火するものでした。そのため”点消方”(てんしょうかた)というガス会社の専門の職業の人が点火棒を持って、夕方ガス灯をともし、朝その火を消していました。一人あたり50〜100基のガス灯を受け持ち、勢いよく街中を走り回っていました。
割れたガラスの補修や清掃、ガスマントルの交換なども点消方の仕事でした。朝寝坊をするとガス灯がつきっぱなしになってしまうため、点消方は結婚していなければなりませんでした。

点消方
点消方

街灯から室内灯へ

当時は明かりとしてろうそくや行灯(あんどん)などが使われていて、ガス灯を見た人々はその明るさに驚き、「文明開化」の象徴としてとらえられていました。街灯として使われはじめたガス灯ですが、次第に、行灯などの代わりとして室内でも使われるようになりました。
このころのガス灯は、ガスの炎がともる裸火(はだかび)の明かりのため、赤い光を放ち、炎がゆらめくものでした。当時の人たちはこの裸火のガスの明かりを、より便利で安定した明かりとして利用できないかと考え、その結果、発明されたものがマントルという発光体でした。
マントルとは、網袋に発光剤を浸みこませて乾燥させたもので、燃やして灰にしたものをガスの炎の上にかぶせると、ろうそくに比べて明るさが7倍になりました。その明るさが好まれて、全国各地で使われるようになりました。
しかし、1923年(大正12)の関東大震災を境に、照明は電灯の時代に移り、ガス事業の役割は照明から熱源へと大きく転換していきました。

卓上下向ガスランプ [明治後期]
卓上下向ガスランプ
[明治後期]

明るさの比較

ろうそく 40ルクス
ろうそく
40ルクス
裸火ガス灯 60ルクス
裸火ガス灯
60ルクス
ガスマントル灯 280ルクス
ガスマントル灯
280ルクス

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